2020年3月、リハビリ型デイサービス施設を運営するTAKE FRONTIER代表取締役 佐野氏は、コロナショックの影響を受け施設の廃業を決定した。
この施設では2014年の開業以来、介護職員の待遇改善をテーマに取り組んできた。
業界平均の初任給19万円に対し、同社では23万円以上に設定。派遣スタッフも動員して有給休暇も取得しやすくするなど、介護経営の常識を無視した挑戦だった。
「コロナショックで廃業を決めたが、それ以前に介護業界には致命的な構造問題がある」と語る佐野氏にお話を伺った。
千葉大学大学院卒業後、新卒でアクセンチュアに入社。2008年に独立、株式会社TAKE FRONTIERを創業しマーケティングのプロとして活躍。
TAKE FRONTIER社のマーケティングのノウハウを活かし別会社(株式会社SKYT)にてメディア運営、ワインの卸販売、リストランテ釣り人などの事業も営む。
インタビューのテーマであるリハビリ型デイサービス施設「リハプライド」は2014年から運営していた。
介護業界の待遇改善にかけた想い
同氏が介護事業に挑戦した背景には、小学校2年生のときの怪我で半年間入院し、完治までに約7年間もの通院を余儀なくされた原体験があるという。
「進学とともに仲良くしてくれたお年寄りが亡くなっていくのを目の当たりにし、非常に寂しい気持ちを感じていました」
「本業で介護事業のフランチャイザーさんを支援したときに、自分の足で歩き寝たきり状態を予防する『機能維持』(※1)の大切さをお伺いし、あのときおじいちゃん・おばあちゃんがだんだん元気を無くしていったのはこういうことだったのか、と」
※1 機能維持・・・リハビリ介護は「機能回復」と「機能維持」の2つに分かれており、仮に機能回復フェーズを完了しても機能維持を継続して行わないと結果的に日常生活に必要な能力が低下してしまう。
馴染み深かった介護業界への恩返しの気持ちを込めて、リハビリ型デイサービスの開業を決めた。
しかし、介護業界について知れば知るほど職員の待遇の低さに疑問を感じたという。
「なんて給料が安い業界なんだと。当時は、他施設の求人広告を見ても月給17~18万という募集が普通に出ていました。これでは家族を養えないだろうと。そういう待遇で、『働いてください』とは経営者として言えないですよ」
世界有数の高齢化社会である日本では介護職の需要が年々高まっているにも関わらず、労働環境が追いついていないのが問題だと指摘する。
「日本は医療大国でもありますから、本来介護は輸出産業になるべきものだと思うんですよ。そうなるために、みんなが働きたいという魅力的な待遇でなければ人はきませんよね。だったら限界まで給与を上げてみようと。想いや理念よりも、まずは待遇だと考えました」
待遇の改善はどのように実現したのだろうか。
「事業計画を立てて、人件費配分を明確に設計して、オーナーである私は無報酬。介護スタッフの給与は同じ地区の施設に比べて20%以上高い水準でスタートしました」
介護職スタッフはハードワークで、入所半年で退職するスタッフも多い。しかし佐野氏の施設では開業時とほぼ同じメンバーで6年間運営してきたという。
「職員の待遇を改善することが、結果として採用費の抑制にもつながりました。その甲斐もあり、初期の業績は順調でした」
運営していたリハビリ型デイサービスの内観(佐野氏のFacebookより)
介護の世界に対しては介護スタッフの給料を切り詰めてオーナーが搾取しているブラックな業界、というイメージを持つ方も多い。同氏はどう考えているのだろうか。
「ブラックな施設が多いのは事実です。しかし、オーナーが搾取しているという見方は違うと思います」
例えば、定員18人、稼働率80%ぐらいの事業所であれば売上は月に250万程となる。国の決まりで介護職員2人、相談員1人、看護師1人、施設長1人の5人体制を必ず配置しなければならない。人件費だけでどう安く見積もっても130万以上はかかる計算となり、更に、施設の固定費やスタッフの採用費を支払うと、オーナーの利益はほとんど残らないという。
「会計上黒字にしなければ、いざというときに銀行の融資を受けることができません。でも、黒字にするために削れる費用は職員の給与くらいしか無いのが現実です」
2015年4月の介護保険報酬改定
佐野氏が施設を開業した約1年後、介護報酬が改定(※2)された。
「そもそも私が施設の開業を思い立った2014年当時、国は『介護事業者の黒字率が高すぎる。つまり、介護保険を支払いすぎているので削減すべき』というスタンスでした。これを背景に実施されたのが2015年の改定です」
その影響とはどのようなものだったのだろうか。
「(デイサービスについては)要支援のご利用者様に関する売上が25%近くカットになりました。周囲の事業所の多くが耐えきれず倒産した影響で、弊社の施設にご利用者様が集まってくれたのですが、報酬が減っていますから限界まで稼働しても利益が出ないんです」
※2 2015年4月の介護保険報酬改定…「介護報酬」は介護事業者に国から支払われる「料金」のこと。報酬額はサービスの内容により定められており、介護事業者にとっては実質的な売上になる。
2015年4月の改定によりデイサービス(通所介護)の基本報酬は大幅な引き下げとなり、特に小規模なデイサービスに対する引き下げ幅が目立った。
コロナショックで利用者が減っても休業はできない介護施設
介護報酬改定以来、なんとか運営を続けてきた施設をコロナショックが襲った。
「ご利用者の方がどんどん休会になりました。志村けんさんが亡くなられた3月29日以降、1日で10数人休会になった日もあります」
休会になったのであればその分利用者を募れば良いのでは?と思うが、行政の指導で利用者を増やせない決まりがあるという。
「新しい利用者の方は受け入れてはいけないし、休会になったら報酬が入らない仕組みです。リハビリセンターを休会した方は寝たきりになりやすく、再度通所される方は多くありません」
国からは雇用調整助成金の特例措置(※3)も実施されているが、一時的に休業にすることはできないのだろうか。
「自治体との契約で事前に決めた日以外、休業はできないんです。この契約は絶対で、受け取れる報酬額にダイレクトに影響します。報酬のカットや、返納もあり得るのです」
「緊急事態宣言以降は休業について各施設ごとに判断が委ねられるなど自由度は増しましたが、コロナの影響で大半の利用者が休会になる中でも、国によって定められた通りの人数のスタッフを配置して、自治体との契約通りに施設を開けなければいけません」
※3 雇用調整助成金の特例措置…事業活動の縮小を余儀なくされた事業主が一時的な休業や教育訓練などを実施した場合に、国が労働者の賃金の一部を補填してくれる仕組み。新型コロナウイルス感染症の拡大を受けて対象や条件が緩和されたが、前述の通り介護事業者の利用は難しい。
「もともと介護保険報酬改定以降はギリギリの状態だったわけですから、これがチャレンジの限界でした。スタッフの給与を下げるぐらいなら辞めようと決めていましたから。
良いスタッフに恵まれて、彼ら彼女らのおかげでここまでやってこれていたので、本当に辛い決断でした」
がんじがらめの制度で、コロナショックが致命傷になる介護事業者は多い。「これからどんどん倒産していく」と同氏。
コロナウイルスの影響を受ける介護事業者に対して、国や自治体にはどのような支援が求められるのだろうか。
「利用者が使わなくても支払われる介護報酬枠を検討していく必要があるでしょう。『要支援』の方であれば、月会費制なので、多少のお休みがあっても、振替などで報酬が出るケースもありますが、報酬額の大きい『介護認定者』はそもそも振替が難しい上に休まれると売上になりません。介護認定者は休会するリスクも高いんです」
介護制度はどう変わっていくべきか
さらに佐野氏は「国のお金でお給料をもらっている準公務員的なポジションの介護職員に対し、『なぜ働いてくれているのか』という危機感を持って欲しいです」と続ける。
「国としてそんなに事業主が(報酬を)取っている、と主張するのなら、事業主の報酬上限や利益のパーセンテージを決めて、『あとはしっかり分配するように』と言えばいいのです」
業界の構造を変えるためには介護保険の自己負担額(※4)を引き上げることも視野に入れるべきだという。
「事業主の報酬上限を決めた上で、介護保険報酬をしっかり出して、とは思うのですが、財源がないことは分かりきっていますからこれはさすがに現実的ではありません」
「財源がないのですから、ご本人の負担を増やすしか方法は無いと思いますね。仮に、介護保険報酬額をそのままに、1割負担部分の金額を4倍くらいに引き上げられれば…個人負担分、月¥2,500の負担が¥10,000になり、顧客単価は7,500円アップします。そうすると売上が30%上がる計算です。」
※4 介護保険の自己負担額・・・介護保険で介護サービスを利用する場合、利用者の状況に応じて料金の7~9割が保険適用となり、残りが利用者の自己負担額とされる。
とはいえ、現行の介護保険にもすでに自己負担の段階制(※5)が適用されている。
「年金収入280万円以上の高齢者の方はごくわずかで、多くの方が1割です。一方で、自己負担率の高い方は年金収入で340万円以上あり、経済的にかなり潤沢な方も少なくありません。預金もあるでしょうし、正直なところ全額自己負担でも問題ない生活レベルの方もおられます」
「生活への影響も考えねばなりませんが、それ以前にこのままではいずれ介護サービスがなくなってしまうことを懸念すべきです」
※5 自己負担額の段階制・・・介護保険で介護サービスを利用する場合、自己負担額は年金収入等280万円未満で1割、年金収入等280万円以上で2割、年金収入等340万円以上で3割負担となっている。
自己負担の引き上げは、高齢者やその家族にとって受け入れ難い政策のように思えるが、その点はどのように考えているのだろうか。
「投票に行く方の大半が高齢者である限りこういった施策は実現しないでしょう。しかし、市民の声から保育士の待遇が改善されつつあるように、介護の問題にも世論の目を向けて欲しいです。若い世代の意見や投票が増えない限り、変わっていかないと思います」
最後に、今も介護の現場で働くスタッフの方に向けてのメッセージを伺った。
「現場で働いている方々は、労働面・賃金面ともに本当にストレスが多いと思います。でも、それって絶対あるべきじゃない。介護は、本来「やらされる」仕事ではなく、利用者に「求められる」本当に価値の高い素晴らしい仕事です。だからこそ、介護スタッフのみなさんが我慢すべき問題じゃない。
保育の業界が変わっていったように、我々も行政に対してちょっとずつでも声を上げていかないといけないと思います」