年収1,000万円超、行弘 賢に聞くeスポーツトッププロの半生とキャリア


ライター:奥野 佑樹
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現在、世界で大きく成長しているeスポーツ市場。日本国内でも、2020年春に大阪市にてeスポーツ専用施設の開業が予定されるなど、ビジネスとしての隆盛を見せており、賞金、契約金で生計を立てるプロゲーマーも続々と誕生しています。

この成長産業のなかでひときわ輝く、国内トッププレイヤーのひとりといえば、カードゲーム『マジック:ザ・ギャザリング』※(以下、MtG)のプロプレイヤーとして活躍する、行弘 賢(ゆくひろ けん)選手です。

※マジック:ザ・ギャザリング…米ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社により、1993年に発売された、世界初のトレーディングカードゲーム。世界中で2千万人を超えるプレイヤーとファンが存在する(公式発表)。アマチュアとして遊べるほか、競技としても盛んで、毎月のように世界各地で大会が行われている。

福岡県出身、2020年に31歳をむかえる行弘選手は、2009年にプロプレイヤーとしての活動をはじめ、着実にキャリアを重ね、2019年には世界トッププレイヤー32人で構成されるプロリーグ「Magic Pro League(通称:MPL)」へ選出されました。

給与、契約金、賞金などを合わせた2019年の年収は1,000万を超え、2020年もMPLでプレイすることが決定しています。

しかし、最初から恵まれた環境でプレイをしていたわけではありません。

食べるものにも困り、実家に帰ろうかとも思った...数年前まで、そんな心境だったとのこと。

困難を乗り越え、日本人トップに君臨した強さの秘訣は?ビジネスパーソンと共通する点は?…トッププロとしての日常やキャリア観、そして半生に迫りました。

※当記事の末尾に、抽選で行弘選手のサイン入りプレイマットが当選する、Twitterフォロー&RTキャンペーンがあります!ぜひ最後までお読みください!

行弘 賢(ゆくひろ けん)選手


<プロフィール>
アイアンワークス所属。1989年2月22日生まれ、福岡県出身、東京都在住。
MtGプロカードゲーマー。

小学生の頃よりカードゲームに触れ、2009年にMtGプロゲーマーとして活動をはじめる。以降、招待選手のみが出場できる「プロツアー(通称:PT)」にて4回のトップ8入りを果たす。近年は日本人トップの好成績をおさめ、2019年より発足した世界上位32人によるプロリーグ:MPLに抜擢。2020年も引き続きMPLでのプレイが決定している。一歩先を行くデッキ構築に強みを持ち、その実力は海外専門メディアからも「Known for his innovative decks and quiet consistency...(革新的なデッキ構築と、安定した一貫性で知られ…)」と評されるほどである。

プロゲーマーとしての活動のほか、MtGを含めたゲーム配信も精力的に行い、MtGのファンベース拡大にも貢献。卓越した実力を持ちながら、明るく、楽しさを追求した配信や発信により、ファン・関係者からの評判をあつめる。

Twitter:
@death_snow
YouTube:
(行弘賢)deathsnowちゃんねる

人との出会いが、負けず嫌いを実力に変える

――2019年に続き、2020年移行シーズンもMPL に選出されたとのこと、おめでとうございます!残留が確定したときのお気持ちはいかがでしたか?

行弘賢(以下、行弘):
目標が達成でき、ほっとしています。2019年にMPLが発足し、選ばれたのが光栄でしたけれども、MPLのメンバーは精鋭ぞろいでしたので、まずは生き残りを目指した1年間でした。

※MPLとは…Magic Pro League/マジックプロリーグの略。マジック:ザギャザリングのトッププレイヤー32名で行う世界最高峰のリーグ戦。選出されたメンバーは毎週「MtGアリーナ」(オンライン版)にてリーグ戦を行う。MPLメンバーは、年間75,000ドルの契約金のほか、世界大会への予選免除、世界選手権への参加権利の優遇、イベント大会への招待などの特典を得られる。

――行弘選手は、eスポーツが大きな市場になる前からプレイを重ね、これほどの結果を残されていますね。差し支えなければ、ゲームの世界に入る前、子供時代について教えていただけますか?

行弘:
僕は、大工をしていて昔気質の頑固な父、優しい母のもと、4人の兄姉とともに「ザ・末っ子」として甘やかされて育ちました。もともと負けず嫌いの一面があり、癇癪を起こすことも、友達と喧嘩をして泣いて帰宅することも日常で、まるでメチャクチャな子供でしたね。両親は相当手を焼いたと思いますよ。

兄、姉たちとは皆、年齢が離れています。10歳離れた兄がゲーマーでしたので、ファミコンやプレイステーションなどの家庭用ゲーム機が側にある環境で育ちました。夜遅くまでゲームをしていて、父からゲンコツをもらう、なんてことも(笑)

はじめてカードゲームに触れたのは、小学生の時です。当時は、ポケモンカード、遊戯王カードなどの国産カードゲームが盛り上がるさなかで、友人とのプレイを重ねていくうちに、「僕、どれくらい強いんだろう?」と、地元のカードゲーム大会へ出場するようになりました。

――はじめて出場した大会は?

行弘:
小学校高学年のときに、博多駅で行われたポケモンカードの大会です。そこでボコボコされたことで、「強い人たちが世の中にいるんだ…!勝てるようになりたい!」と刺激を受け、ポケモンカードのコミュニティで遊ぶようになりました。今思えば、僕の負けず嫌いの感性はゲームによって培われた可能性がありますね。

強くなるために何より大事なのは、負けたくない気持ちだと僕は思います。その気持ちに対してどう挑戦していくかというのが、優れた才能よりも大事な根っこの部分です。これが、子供のころに養われていたのは、幸運でしたね。

――負けず嫌いで癇癪持ちの子供だった行弘選手。コミュニティのなかで、思い出深いことはありますか。

行弘:
年上の方との交流を通して、世間知らずな部分に、社会人としての厚みが足されていきました。思い返すと不思議なのですが、コミュニティにいた中学生以上の大人たちが、小学生の僕に対して、友達のように温かく接してくれて、子供だから、と見下されることはなかったんです。周りの支えがあって、ポケモンカードでは最終的に、2005年の世界大会で入賞もできました。

MtGの世界に入ったときも、周りの方は全員、僕よりも年上の方のなかで活動していました。ゲームを教えて頂いたのはもちろん、社会性が身に付いたことにとても感謝しています

――当時小学生でしたけれども、大人たちと遊ぶことに対して、ご両親はご不安に思われたこともあるのでしょうか?

行弘:
思い返せば、不安だったとは思いますし、心配もしてくれましたが、カードゲームに対して否定的ではなかったです。

たとえば、中学生の時にいきなり、「広島で大会があるから一人で遠征してくる、友だちの家に泊まるね」と切り出した時も、頭ごなしに否定するのではなく、よくよく話を聞いてくれて、「それならいいよ、頑張ってき!」と送り出してれました。

両親のそのスタンスが、僕がプロになれた理由のひとつです。親世代にとってプロゲーマーって、ゲームで食っていくって何だろう…?という感覚かもしれませんが、今、少しずつ良い待遇、環境でプレイさせていただけている過程を、高く評価してくれています。そんな両親もずいぶん年を取りましたので(笑)、今後もプロとして活躍して、安心させ続けたいですね。

頭のネジが壊れている方が、良いこともあるんです

――はじめてMtGのカードに触れたときのことは覚えていますか?

行弘:
高校2年生の頃、コミュニティの仲間から、ポケモンカードがオフシーズンのときに、「別のカードでも遊んでみない?」と、誘ってもらったのがきっかけです。最初はカジュアルなプレイを楽しんでいましたが、徐々に本格的に遊ぶようになり、競技への第一歩を踏み出しました。MtGの大会デビューをしたのは、専門学校1年生の頃。イエローサブマリンというカードショップで行われた大会です。

――競技としてのMtGの魅力に気付いたきっかけは?

行弘:
専門学校1年生の頃、北九州で行われた大会で5万円の賞金を頂いたのがきっかけです。「遊んでお金がもらえるなんて、アツいな…!」と。学生にとって、5万円って、大金じゃないですか(笑)

それから、僕は生粋の”大会好き”なので、他のカードゲームに比べて、大会の開催頻度が高いのにもぐっときましたね。勝ち進んでいけば、毎月のように大会へ参加する権利がもらえる環境と知りまして。それで、プロツアーを目指そうと。

――多くの大会に出場するなか、プロプレイヤーとしての道が開かれたのはいつ頃でしょうか?

行弘:
2回目に参加したプロツアーのハワイ大会で、日本人プレイヤーの宿泊先などを取り纏めて下さったなかしゅう(中村修平)さんを中心とした輪に入れてもらい、人間関係が広がりました。海外に行くことで国内のコミュニティが広がる、っていう。

その後、就職先としてお世話になる和歌山のカードショップの店長さん、そしてアイアンワークスの若山社長との出会いもこのハワイ大会がきっかけです。

ハワイ大会で知り合ったプレイヤーの方たちとプレイするのが楽しくなり、「これはちょっと辞めれんなあ…」と、頑張っていたところ、ひとつひとつの大会でずば抜けた成績は残せなかったものの、年間を通して成績がいいということで、翌年1年分の大会に出る権利を頂けて、プロとしてのサイクルがはじまったんですよ。

――その頃、プロとしての待遇はどのようなものでしたか?

行弘:
大会へ参加する権利はあるけど、契約金などはもらえない」という微妙な待遇です。だから、海外の大会にも参加する権利があるのは嬉しい反面、正直お金がなくて。コミュニティのリーダーに融通して頂いたこともあります。その後就職して、MtGの大会で勝った時に全部お返ししましたけれども…。

――学生だった行弘選手ですが、アルバイトをして、遠征費を稼ごうとは思わなかった?

行弘:
普通だったら、折り合いをつけますよね。バイトするとか、学業に励むとか。でも、僕はMtGが好き。その想いだけで、MtGに時間の全てを費やしていました。

当時は、MtGをしている友達の家に、数年単位で住み込ませてもらい、無償でマジックを教えてもらう生活を送っていたんですよ。今だから言えるのですが、食べるものにも困って、スーパーの試食コーナーのパンを食べて空腹を満たしたり、友人の家で白米を食べさせてもらったり。

――MtGのためにそこまで…。

行弘:
周りから見たら、頭のネジが外れているのかもしれません。でも、頭のネジが壊れていたからこそ、好きなことを続けることができました

そんな僕を、福岡時代、和歌山時代、そして現在を通して、助けてくれる人たちがたくさんいたなあって思います。

――ご自身が周りのサポートを受けられた理由を、どのように分析されていますか。

行弘:
MtGへの想い、1点を評価してくれて、期待して頂けていたのかもしれませんね。生活はロクなものじゃなくても、それだけは伝わっていたのかなと。

その方たちと出会えなかったら、普通の就職をしたり、勉強したりなど、いわゆる”まともな生活”を送っていたかもしれません。

自分にとって、どちらが幸せかというと、今の生活が幸せだと僕は思うので、未来を閉ざさないでいてくれた人たちに、感謝しています。

そして今は、あの頃の僕のようなプレイヤーに対して、何かしてあげなられたらな、という気持ちがありますよ。

――専門学校を卒業した後は、地元福岡を離れて和歌山のカードショップでお勤めだったのですよね。これはどのようなご縁で?

行弘:
ハワイで出会ったプレイヤーの山本さんが、カードショップを和歌山で開くと聞き、「福岡から和歌山に引っ越しますので、そこで働かせてください!」とアピールしました。

というのも、翌年のプロツアーは全て出場できるのが確定していたので、MtGをする時間を大切にしたかったんです。そういった生活に理解のあるのは、縁故かなぁと。

――和歌山に行ったあと、スランプがあったとも伺っています。

行弘:
はい、腰を壊してヘルニアになってしまって、カードショップでも1年間働けなくて、成績もどんどん落ちていって……。収入も途絶える中で、これ以上和歌山にいてもダメだし、実家に帰ろうかな…と葛藤していました。

そんななか、アイアンワークスの若山社長から、実業団のようなかたちでプロの活動をサポートするし、腰に負担がかかるようにはしないから、働いてみないか?と、誘ってもらいまして。

――最終的に東京に行く決断に至ったのは、どのような想いからでしょうか?

行弘:
結局その頃って、プロ活動してるとはいえ、良い待遇のサイクルにはまだ入れていなかったんですね。「もっとまともな生活をしたほうが良いのでは」と考えたことも、一度や二度ではありません。

だけど、「僕はMtGで何も成し遂げていない、だから続けたい」という気持ちで、振り切ってきました。この切実さを、人との出会いによって、上手く支えてもらえていたことで、今のような感じでずっと続けさせていただける感じですね。

――今、日本人トップの成績を残し、十分ご活躍しているようにも感じます。行弘さんにとって「成し遂げる」とは?

行弘:
最終的な目標は、 プロツアー優勝です。そして、5年後、10年後、「昔、行弘っていう強い奴がいた」って、言われるようなプレイヤーになりたいと思いますね。

僕はここ1~2年、アベレージは良いけれど、プロツアートップ8入りの回数が多いわけではありません。だから、MtGの世界に、爪痕を残せているとはまだ思えないんですよ。自分自身が納得できる形で、成果を残したいと思っています。

プロeスポーツプレイヤーの日常

――アイアンワークスに入社なさってからは、どのようなスケジュールでお過ごしですか?

行弘:
今から約3~4年前、東京に来たばかりの頃は、仕事:MtGでいうと、7:3から6:4の割合でどちらかというと仕事メイン。カードショップから情報収集のための営業活動や、オウンドメディア向けの記事の執筆・編集をしていました。

――業務とMtGの両立は、大変ではありませんでしたか?

行弘:
仕事をしていたから、というわけではありませんが、成績が落ちて上位大会に出られなくなった時期もありました。徐々にバランスが取れるようになり、ここ1~2年は安定した成績を残せています。

――プレイヤーとして強くなるにつれ、業務量や内容は変化していますか?

行弘:
現在はかなりご配慮いただいていて、仕事:MtGの割合が2:8までになっています。また業務内容も、イベントへ出演や取材対応、Youtubeストリーム業が中心になっていますよ。

――内勤から、表に出る仕事に変化してきているのですね。ワークライフバランスはどのように取っていますか?

行弘:
土日は大会もありますし、海外に行くことも多いため、不定休です。「電池切れたな」と思った日は休むようにしています。

――5年後、10年後のご自身のキャリアはどのように描かれていますか?

行弘:
もし将来、MtGを引退することになったとしても、ゲーム業界にいられるようになるといいな、と。僕は現在、30歳ですが、仮に35~36歳で引退することになったとして、年齢的にも異業界へ転職するのは厳しいと自己分析しているからです。

もともとゲームが好きなので、ゲーム業界でのセカンドキャリアにつながるような仕事をしたり、他のゲームについて勉強したりするなど、次のステップは意識しています

「”行弘賢の配信”を好きになってほしい」

――行弘選手は、普段からサムネイルや動画配信など一つ一つの発信で、見せ方にもかなり気を遣っているように感じます。ご自身の配信を観たファンの方に、どういう気持ちになってもらいたいですか?

行弘:
色んな層の方に、楽しい気持ちで見てもらえるようにエンタメ感を出していこう!」と心がけています。ゲームの解説をメインにすると、コアな層には刺さると思いますが、MtGプレイヤーかつコアな層に限定すると、ごく一部になってしまうので…。

僕が配信をする理由のひとつに、MtGで遊ぶ仲間がもっと増えてほしいから、というのがあります。配信者のプレイを見て、実際にプレイするのにたどり着いてもらうためには、面白さがすごく大事。だから、Twitch※ ではなく、これからMtGに出会う層が多いであろうYoutubeにて配信をしています

※Twitchとは…Amazon社が提供するライブ配信プラットフォーム。ストリーミング機能に加え、投げ銭制、スポンサー機能などを備えている。MtGのプレイヤーの多くが、Twitchにて配信をおこなっている。

※行弘選手の配信サムネイル。サムネイルを見るからに、視聴者を楽しませる工夫が伝わってきます。

行弘選手のYouTubeチャンネルはこちら→(行弘賢)deathsnowちゃんねる

――逆に「これはやらないぞ」と決めていることはありますか?

行弘:
Youtube配信では、プレゼントキャンペーンはしないと決めています。上司から、「チャンネル登録者数を増やすために、プレゼントキャンペーンをしたらどうかな?」と言われますし、登録者数を増やすための施策にも意味があるとは思いますが、僕はそれよりも、配信の内容を楽しみにしてくれる視聴者の方を大切にしたいです。

僕自身を楽しいものして、視聴者の人に楽しく見てもらえる。これが理想です。

――そう考えるようになった原体験はおありですか?

行弘:
自分自身が視聴者として好きなのも、配信者が真剣にゲームに向き合っている内容のものだからです。たとえば、ゲーム実況で卓越した技術をお持ちの加藤純一さん、牛沢さん、ナポリの男たちさんの配信をよく見ています。

キャンペーン施策を行ってチャンネル登録者数を増やす取り組みをしている方も多いなか、トレンドとは逆ですし、遠回りかもしれません。でも、僕が視聴者として好きなスタンスを、配信者としても継続していきたいです。

――配信業務と、高成績を維持し続けるための練習の両立は大変ではないですか?

行弘:
逆に、MtG以外のこともしてメリハリをつけるのが、MtGへの熱量を失わない条件だな、と思うんです。

好きなことに対する情熱って、永遠に続くものではないんですよね。僕が若かったころと、今の自分を比べた時に、昔と同じこと…たとえば、親や友人たちに迷惑をかけて、白米や試食のパンを食べて、MtGだけにオールインするのはどうしても考えられない。

そこまでの熱量はもう、年を取るにつれ、失われていくというのが僕の中の結論で。失われるのは仕方ないとして、ゼロにならないようにするにはどうすればいいか?と考えると、配信によってメリハリをつけるのは良い作戦ですし、なにより、僕自身がやりがいのある業務なんですよ。

――ということは、2020年から配信義務がなくなるそうですが、継続していただけますか?

行弘:
はい、続けます。僕は業務になる前から配信をしているし、いつも楽しみに見に来てくださる方たちがいるからです。2020年は、2019年と同じような生活にしようと思っていますよ!

――喜ぶ方も多いのではないでしょうか。

後編:「バランスが良くないからこそ、楽しい」行弘 賢が語るMtGの未来は、1月15日(水)朝8時に公開!

 

(聞き手:中村めぐみ @Tapitea_Rec /片川創太 @seomatome、テキスト:中村めぐみ、撮影:奥野 佑樹 @Seiren_GA

行弘 賢選手サイン入りプレイマットプレゼントキャンペーン

ここで皆さんに朗報です!

インタビューの中で、「Youtube配信ではプレゼントキャンペーンは行わない」と仰った行弘選手ですが、今回特別に、プレゼントキャンペーンにご協力いただけることになりました!

Twitterで応募すると、行弘選手のサイン入りプレイマットを、転職Doをご覧の方に抽選でプレゼント!

第一弾:行弘選手のサイン入り「Underground Sea」プレイマット

※第二弾は後編で行いますので、後編も要チェックです!

【応募方法について】

①転職DoのTwitterアカウント(@tenshokudo)をフォローします。

②固定ツイートをリツイート。
※引用リツイートは不可。必ずリツイート機能でのリツイートをお願いいたします。

③応募完了!
※応募完了後であっても、リツイートの取り消し、転職Doのフォローを解除した場合、その時点で応募対象外となります。

【応募締め切り】 2020年1月14日(火) 23:59まで

【当選の通知方法】

締め切り後に抽選を行い、当選者には@tenshokudoからDMにてご連絡いたします。

※事前に、ご自身のTwitterアカウントのDM設定をご確認ください。
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