2005年に男性の育児休暇を取得。キャリアカウンセラー松島高弘さんが独自の道を拓いた理由


ライター:奥野 佑樹
【PR】記事内に商品・サービスのプロモーションを含みます。

みなさん、「男性の育児休暇」について考えたことはありますか?

政治家が育児休暇の取得を検討しているとのニュースに注目が集まるなか、日本の男性の育児休暇取得はなかなか進んでいないのが現状のようで…。

今回登場していただくのは、現在、キャリアカウンセラー、研修講師としてご活躍中の松島高弘(まつしまたかひろ)さん

1996年にJR東日本へ入社し、不動産事業やSuica電子マネープロジェクトなどを手掛けられた後、入社9年目で1年半の育児休暇を取得。その後、2007年にキャリアカウンセラーとして独立し、キャリアやモチベーションなどのテーマに関して、1,000回以上の研修実績をお持ちです。

今ほど、大手企業からの独立や、男性の育児休暇についての理解が進んでいないなか、松島さんはなぜ、時代の10歩先を突き進む行動がとれたのでしょうか?…お話を伺ってきました。

(聞き手:中村めぐみ)

Interviewee:キャリアカウンセラー 松島高弘(まつしまたかひろ)

松島高弘

1996年早稲田大学法学部卒業後、JR東日本に入社。
入社後はITビジネス担当に抜擢され企画立案を任されるチャンスを得るが、一人で抱え込み、挫折。「本当に自分のやりたいことは何か」との悩みからコーチングとの出会いをきっかけに2007年独立。企業・行政・教育機関等に向けて全国で1,000回以上、のべ1万人以上の参加者に対してコーチングやキャリアに関する研修を実施している。

やりたいことが希薄だった大学時代。「彼女を見返したい」で火がついた転職活動

ライター中村

松島さん、今回は、男性の育児休暇取得についてお話を聞けたらと思うのですが…まずは、育児休暇を取得する前、JR東日本に入社したときのことを教えてください!

松島さん

僕は、鉄道事業に強い想いがあったわけではなく、学生の頃はむしろ官僚になりたかったんです。大学1年生のときに、当時付き合った彼女に振られて、「良い仕事に就いて見返してやる」と考えたのがきっかけで、早い段階から官僚になるための勉強をはじめました。

ライター中村

(プライド高っ!)そ、そうだったんですね…。

松島さん

やりたいことは希薄なまま、虚栄心を満たしたいという不純な動機での就職活動だったんですね。だからなのか、筆記試験はクリアできても、入庁試験にはことごとく落ちて、留年までしてしまったんですよ。そこで、「多くの方の役に立つ仕事」をキーワードに就活を続けていたのだけれど、最終的に内定をもらえたのがJR東日本だけでした。

大企業に入ってもなお、やりたいことを探していた

ライター中村

JR東日本へ入社してからすぐに、鉄道事業に配属されたんですね。

松島さん

最初の1~2年、車掌業務を経験したあと、駅などの現場を管理・サポートする部署に配属する予定だったのですが、デスクワークしてる先輩たちの仕事は楽しそうとも思えなくて…。「自分には本当に鉄道の仕事が合っているのかな」と思いはじめました。

ライター中村

やりたいことがあったわけではないけれど、鉄道事業には違和感を感じられたわけですね。

松島さん

一方で、関連事業に従事している同期は、駅ビルで関西の鉄道会社とのコラボ事業をしたり、商業施設のマネジメントをしたりなど、面白そうなことをしているなあ…と思いはじめました。

 

その気持ちが周りにも伝わっていたのか、「お前は仕事を選り好みしている」と当時の上司から指摘されたこともあります。好きなこと、意義あることはとことんのめり込む反面、雑務は敬遠していたり、納期を守れていなかったりしていたのでしょうね。

ライター中村

「やらされること」ではなく、「やりたいことをやる」という気持ちが、当時からあったんですね。

松島さん

はい。「人生やキャリアについて、最終的には自分で責任を取らなければならない」という考え方が定着していた当時の自分にとって、上司の言葉は届きませんでした。今思えば、他人からの評価を軽視していたし、周囲との信頼を築くということをやっていなかったんでしょうね。

ライター中村

その後はどのようにキャリアを築かれたのですか?

松島さん

入社4年目に関連事業の部署への配属につながる<不動産鑑定士養成研修>にチャレンジしました。社内選考や鑑定士試験にも合格し、本社の関連事業を統括する部署へ配属になった時は、「やはりキャリアは自分で開拓するものなんだ。他人任せで、不満を言ってはだめ」と確信しましたね。

 

ただ、あこがれの関連事業とはいえ、不動産鑑定グループでは、社内や役所と情報のやりとりをする仕事が主体で、どちらかといえば内向きの仕事だったんです。

ライター中村

関連事業とはいえ、松島さんにとって、必ずしも面白いと思える仕事ではなかったんですね。

松島さん

そんな不動産鑑定グループの隣に、新規事業をゴリゴリ進めるグループがありました。新規事業の部署には、誰でも知っているような大手商社からも頻繁に電話がかかってきているのを見聞きして、「新規事業の部署ならば日本を代表する会社と一緒に仕事ができるんだな、いいなあ」という想いが募ります。

ライター中村

そこで抱かれた思いが、新規事業への足がかりになったのでしょうか。

松島さん

はい。不動産鑑定グループの仕事をしながら、社内ベンチャーに企画を応募し、その実績が認められて、入社6年目には、新規事業の担当部署に配属になりました。

ライター中村

入社6年間で、鉄道事業からの不動産鑑定の部署へ、そして新規事業の部署へと、大きなキャリアチェンジを2回経験されているんですね。

 

一般的には、たとえやりたいことがあったとしても、周りの目が気になったり、今いる部署に嫌われたくないとか言い出せないみたいな人もいっぱいいると思うんですね。松島さんが自分の道を切り開くために、意識していたことはありますか?

松島さん

作戦ね…。繰り返しになってしまいますが、根底には、「自己責任」との思いがありました。自分のキャリアや人生は、自分で責任を引き受けなきゃいけない。自分がやりたいと思ったことは声に出さないと聞いてくれないですよね。上司や会社が自分について責任を持ってくれるわけではない、というスタンスがあったので、列車内DVDレンタル事業や、宅配ロッカーを駅構内に置く事業などを積極的にプレゼンし、やる気をアピールしていたんです。それが受け入れられたのかもしれません。

ライター中村

今風に言うと、「匂わせる」というスタンスですね。しかも匂わせ方が半端ない。

松島さん

それから相手目線で提案するのも大事なんですよ。

ライター中村

相手目線ですかぁ…。自分のやりたいことを、相手目線に落とし込むって難しそうに感じてしまいます。

松島さん

自分がやりたいことを通すことで、相手にどんなメリットがあるか?を言葉にするんです。

 

たとえば僕なら、不動産鑑定の仕事から新規事業へ行くためのアピールをする際、「鉄道事業が右肩下がりの中で新規事業が必要とされる一方で、新規事業をゼロから生み出す成功に導きとした人って社内的にもそんなにいない。とすればその担い手となる人が必要なんじゃないか。」と、自分は不動産鑑定士で活躍するよりも新規事業で活躍した方が会社にとって良いですよ、と相手目線での理由を伝えたのが、良かったんじゃないかなあと思います。

「退職をするくらいなら、会社の制度をトコトン使っちゃえ」

ライター中村

新規事業に携わられて3年後、入社9年目に、育休を取られていますね。

松島さん

育休を取ろうと思ったきっかけは、「自分、JR の中でそんなに評価されていないな。会社を辞めてもいいかな」と思っていたのがきっかけなんですよ。

ライター中村

え、そうなんですか!順風満帆なキャリアを描かれているように感じるのですが…?

松島さん

新規事業部では、いくつかのITビジネスを手掛けていました。その中でも、無線LANを駅でレンタルするというビジネスを、社内外の若手4人のチームで進めていたので、同期の誰よりも楽しい仕事をしているという自負もありました。当時はまだスマートフォンも普及していない時代で、新しい分野だったんです。その矢先に、関連会社への出向の内示が出まして、本当にショックで…。「なぜ自分が行かなくてはいけないんだ」と上司に詰め寄ったりもしました。

ライター中村

もどかしい状況でしたね。

松島さん

加えて、入社7年目以降、世間的に中堅社員と呼ばれる年次は、同期の中で結構差がつき始める世代なんですね。しっかりと出世している奴に比べて、僕はポロポロと取り残されてしまうと…。もっと外に目を向けてみたいという想いがあり、転職活動やビジネススクールへの参加も平行しておこなっていました。

ライター中村

松島さんの行動力ならば、すぐに転職が決まりそうです。

松島さん

それが大手企業、ベンチャー企業を含め転職活動したんだけれども、なかなか採用には至らないと。自分はJR東日本で、新規事業にも取り組んで、いけてるはずなのに…と。そんななか、参加していた講習会で、コーチングに出会い、「人のキャリアの応援をする」という仕事に興味を持ちはじめ、コーチングを活かして何か仕事をやっていこうかなと思い始めたんです。そのタイミングで、妻が二回目の出産を機に体調を崩してしまって…。「どうせ辞めるつもりだし、育休取ろうかな」との想いから、出向先の上司に切り出しました。

ライター中村

そんなドラマがあったとは。2005年といえば、ずいぶん昔のことのように感じます。「男性が育休を取るなんて」と思われてしまいそうなものですが…。

松島さん

そこでもやはり、自己責任の考え方ですね。そもそも辞めたいとか思っていたぐらいだったから 。辞めるくらいなら会社の制度とことん使っちゃえ、と思っていました。

ライター中村

すごい勇気だ…。上司の方には、どのように切り出したんですか?

松島さん

育児休暇について考えはじめる前から、妻の体調があまり良くないとは伝えていたので、上司からも特に反対はされず、すんなりと育児休暇に入れました。JR東日本として、従業員を大切にするという風土があることも影響していると思います。

ライター中村

男性社員で、育児休職を取得した前例があったのでしょうか?

松島さん

当時の会社の制度では最大で2年間取れることになっていたのですが、男性で、1年以上取ったのは、先輩で一人いたかいなかったか…という状況だったと思います。7万人いる会社の中で2人目だったのかな。

ライター中村

松島さんのご両親の反応はいかがでしたか?

松島さん

両親が反対するっていうこともなかったし、まあ反対されよう取るし、と僕としては思っていました。ただ両親からしてみれば、「大企業に入ってそこで偉くなるのが大事」という価値観を持っていたかもしれないので、不安には思っていたかもしれません。

ライター中村

育児休業中、ご家族との触れ合いの中でキャリア観の変化はありましたか?

松島さん

退職を考えている中での育児休暇だったけれども、育児休暇が明けたら、その後も働いて生活しなければいけないわけで、当時は「家族との時間をいかに確保しながら働くか」と、その方法を模索していて、コーチングのスクールなどにも通っている状況でした。

 

出向先も含め、JRに戻れば、定時に帰るのは難しいし、長く働いている人が偉いという、暗黙のルールの基に働いていかなければいけない。そうじゃない働き方もしかしたらあるのかも、とは考えていました。

ライター中村

育児休暇を取得したことで失ったものってありますか?

松島さん

大企業での活躍は、失ったかもしれません。JR東日本は、人に優しい会社だったから、育児休暇明けで「退職します」と話をした時も、家族とのバランスを取れるような仕事をあてがうよとのお話もあり、本当に優しい会社だなぁとは思いました。

 

ただ、ここまでお話してきたように、僕はプライドが高いので(笑)、自分よりも後輩が上司になるなんて、それは許せないし、耐えられないなぁと。その想いが、原動力になってきたっていうのもあります。なので、独立してよかったなぁと思います。

ライター中村

ありがとうございました。

まとめ

キャリア形成と家族との時間の両立を模索した結果、独立を決意した松島さん。今回のインタビューを通して見えてきたのは、育児休暇だけではなく、キャリアの分岐点において、周りの声に流されず、やりたいことをやるという決断力、そして周りを納得させる行動力でした。

自分の道は自分で拓く責任感があったからこそ、当時異例ともいえる育児休職も、しっかりと取れたのかもしれません。

後編では、そんな松島さんに、現職のキャリアコーチングを活かして、心理学を応用した新しい時代の仕事の選び方を教えていただきます!

<後編「転職に活かす心理学?やりたい仕事がない方にこそ試してほしい、自分を大切にする選択」はこちら!>

このページを共有する